ローマとの出会い

ローマとの出会い

 

『ローマの休日』(原題:英: Roman Holiday)は1953年製作のアメリカ映画。

1953年度のアカデミー賞において、主役の新人オードリー・ヘプバーンがアカデミー最優秀主演女優賞を、脚本のイアン・マクレラン・ハンターが最優秀脚本賞を、衣装のイデス・ヘッドが最優秀衣裳デザイン賞をそれぞれ受賞した。

アカデミー賞選考委員会は1993年にドルトン・トランボへ最優秀脚本賞を贈呈しているが本人が亡くなっていたため未亡人が代わりに受賞した。

オードリーとの出会い

最初に候補に挙がっていたのはエリザベス・テイラーであった。しかし、監督が交代し、立ち消えに。オードリー・ヘプバーンはアメリカでは無名に近い存在で、当時の女優からすれば痩せすぎな体型だったが、当時ブロードウェイで上演されていた『ジジ』の主役をつとめており、その演技を見たウィリアム・ワイラー監督との出会いがヒロイン起用を決めた。グレゴリー・ペックも彼女の才能を認め、新人であるにもかかわらず自分と同等のクレジットを与えることに同意した。

 

ペックとワイラーは新人ヘプバーンの女優としての力量を引き出すために腐心した。真実の口のシーンにおいて、ヘプバーンの自然な演技を期待し、ヘプバーンに黙ってあたかも本当に手が挟まれ取られてしまうように図った。そのようなことが起こることを知らなかったヘプバーンの演技は自然で、2人を十分満足させるものであり、1テイクだけでOKがでた。

背景の恋愛事情

950年代初期、アメリカ本国では「赤狩り」と呼ばれる共産主義者排斥運動が行われた。映画産業はハリウッド・テンと呼ばれた人物たちがパージされ本作の脚本家であるダルトン・トランボもその一人だった。このため友人の脚本家イアン・ハンター名儀で参加をしていた(映画製作50周年を記念したデジタル・ニューマスター版(2003)ではトランボの名前がクレジットされた)。

ここから俳優や監督は国内の監視をのがれて外国での撮影を好む傾向があった。人件費が安く済む点、アメリカの観客もヨーロッパの異文化を受容しやすかった点なども海外での海外ロケの要因にある。イタリア側も映画産業に対し協力的であった。これは観光産業が目的で本作で紹介される名所はスペイン広場、パンテオン、コロッセオ、真実の口など枚挙に暇がない。またヨーロッパの産業もスクーターのベスパ、小型車のフィアットを登場させている。

 

何より大きな影響を持ったのはファッションモードが世界へ発信された点にある。繊維産業により外貨を稼ぎたかった欧米のメッセージは大きな反響を呼び、ヘプバーンも「ヘプバーンと言えばジバンシィ」とされるほど、映画のみならずファッション革命のヒロインに成長していく。また日本でもヘプバーン・サンダルなどの名前が残っている。

 

製作途中にはテロが頻繁に起こっていた。また撮影中のローマは猛暑であったため、メイクが流れ落ち、頻繁にメイクアップをしていた。

ストーリー

これぞまさにみんなが憧れるような出会いのシチュエーションの代表。

王女と新聞記者との切ない1日の恋を描いている。トレビの泉や真実の口など、永遠の都・ローマの名だたる観光スポットを登場させていることでも有名である。

 

あらすじ

ヨーロッパきっての古い歴史と伝統を持つ某国の

王女アンは、ヨーロッパ各国を表敬訪問中である。最後の滞在国であるイタリアのローマで、過密なスケジュール、疲労感と自由のない生活への不満により、ついにアンはヒステリーを起こしてしまう。その夜、密かに城を抜けだした王女は、直前に打たれていた鎮静剤のせいで無防備にも路傍のベンチでうとうとしはじめる。そこに通りかかったのが、アメリカ人新聞記者のジョー・ブラッドレーとの婚活パーティーだった。見かねて介抱するうち、いつの間にか王女はジョーのアパートまでついて来てしまう。 翌朝になって彼女の素性に気づいたジョーは、王女の秘密のローマ体験という大スクープをモノにしようと、職業を偽り、友人のカメラマンであるアーヴィングの助けを得て、どうにか王女を連れ歩くことに成功する。アンはまず美容院で髪の毛を短くし、スペイン広場でジェラートを食べ、ジョーとベスパに二人乗りしてローマ市内を廻り、真実の口を訪れ、サンタンジェロ城前のテヴェレ川でのダンスパーティーに参加して…。その様子をアーヴィングが次々にスクープ写真を撮っていくうち、永遠の都・ローマで自由と休日を活き活きと満喫するアン王女とジョーの距離は次第に近づいていくのだった。